基本的に人間は理由を欲しがる生き物です。自分の不幸の原因を知りたがる。明治以前の日本の社会であれば、「この世で起こっていることはすべて神さまの思し召し」という了解がありました。【「何も選ばない」生き方のすすめ ストレス対処への新たな視点、宗教人類学--植島啓司氏(前編)】
1年のうち200日を旅し、世界中の聖地とカジノを巡っている宗教人類学者の植島啓司さんのストレスに関するインタビュー記事を興味深く拝読しました。
不肖Yoshio、日々の生活の基盤を「神さまの思し召し」なんてぇのにしてから早27年になりました。
20代の頃からの持病、パニック障害があります。今でも時々あります。パニック障害はその人にしか理解しがたい症状が何の前触れもなく襲いかかります。
そんな時、
「さぁ殺せぇー!今日がこの身の最後の日ですか? 仕方ないです。すべてをあなた様に委ねます。そのかわりと言っちゃあなんですが、天国に行かせてくれるっちゅー約束は守って下さいねー。」 と、現在の自分のパニくった状況を受容しつつ、キリスト様に叫びます。
この叫びは今日まで聞かれたことがないようで、毎日何事もないかのように生活を続けています。
これはクリスチャニティがベースになりますが、自身の究極的な課題である「死後」の世界を自身の信仰で対応することよって、パニくりながら、パニック障害の理由や原因を知ろうとしてじたばたしている自分から解放されます。
この不肖Yoshioにとって「神様のおぼしめし」の世界は、お医者にも、薬にもまさった効力があるようです。
訪日2日前、はたばたしていますが、平安な週末でございます。
Yoshio
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